Sunday Sermon

主日説教

主日礼拝で語られた説教の概要を通して、 聖書の言葉とその日のメッセージを お届けします。

2026年9月27日 主日礼拝 説教者:仲程 愛美牧師

苦難の中の力

聖書箇所:コロサイの信徒への手紙 1章21節〜29節

「若い時の苦労は買ってでもせよ」の諺は人生の美徳とされる。多くの者が実体験として語るからだ。「困難や苦労を乗り越えてこそ立派な人間と成る」との考えは、苦難を自身の美談や成功談としていく。だが、この視点は聖書が語るそれとは異なる。

パウロも苦しむことを喜びとしていると語る。が、その根拠は「わたし」はいない。神の言葉を伝えるために仕える者となったパウロは、人間的成長のための人生論を語らない。我々はこの手紙の言葉を、彼の言葉を受けとめる時その点を見落としてはいけない。パウロにとっての苦労は、神の計画に参与している証、恵みそのものなのだ。

キリストを伝える、証しするのは苦労がある。しかしその中で力強く、共に闘ってくださる方を見上げていきたい。

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これまでの主日説教

説教者:金 鍾圭牧師

一括払い

聖書箇所:ヘブライ人への手紙9章23〜28節  旧約時代から始まった「贖罪日」は、イスラエルの民が神の前で自らを省み、罪の赦しを求める大切な日である。この日には多くの生贄が捧げられ、大祭司は民を代表して至聖所に入った。しかし、この儀式は「年ごとに」繰り返さなければならなかった。  一方、イエス・キリストは十字架において「ただ一度」御自身を献げられた。一度しかなかったのではない。一度で十分だったのである。キリストの十字架によって、わたしたちは罪の赦しを得るために同じ犠牲を繰り返す必要がなくなった。この「一括払い」の恵みによって、神の前で怯え続ける必要はない。  神に受け入れられているという安心と平安の中で、失敗して神から逃げず、もう一度神の方を向き、安心して神に近づくことができるのである。
説教者:仲程 愛美牧師

惜しみなく与える

聖書箇所:コリントの信徒への手紙 二 9章 6節〜15節 聖書は我々に「受けるよりも与える喜び」を語る。パウロがコリント教会に宛てた手紙では、与えることの計り知れない大切さを記している。その文脈でささげること、施しを行う際の姿勢に触れているのだ。強制や束縛中で誰かに何かを「与えて」も、ただの義務行為でしかない。パウロは、神の恵みのうちに自由な思いを伴う行為=「与えること」だと示す。 コリント教会の働きを通して、他教会の人々が、神への感謝をより一層強くする。この事実こそが、神の恵みとその働きを表している。惜しみなく与える行動は、イエスに倣って歩む者の姿として映る。このことが物質的な援助に勝る、神の栄光を表す働きだとパウロは語るのだ。 
説教者:金 鍾圭牧師

残すべきもの

聖書箇所:ガラテヤの信徒への手紙 1章1節〜10節 パウロが伝えた福音とは異なる教えが、ガラテヤの共同体に入り込んでいた。人々は、無条件で与えられる神の恵みから離れ、「先祖もわたしたちも負いきれなかった軛」(使徒15:10)へ戻ろうとしていたのである。パウロは「あきれ果て」、はっきりと「ほかの福音はない」と語る。 福音とは、私たちが神に認められるために何かを付け加えることではない。キリストが私たちの罪のために御自身を献げ、恵みと平和をすでに与えてくださったという知らせである。時代や文化が変わっても、この福音の中心は変わらない。 私たちが残し、伝えるべきものは、人を縛る重い軛ではなく、キリストによって無条件に与えられる「くすしきみ恵み」と平和なのである。キリストの恵みと平和が、いつまでも私たちの間にあるよう、共に歩んでいきたい。